ふと気がつけば、俺は見知らぬ場所に立っていた。
どこかのダンジョンの中だろうか。 薄暗くて誰もいない寂しい場所だった。床に一振りの剣が落ちている。
ボロボロの刃で鞘はなし。柄に宝玉が嵌っているものの、薄汚れてひび割れている。 剣はかぼそい声で呻いた。生きているのだ。(あれはヨミの剣だ)
俺は思う。
(ひどくオンボロだが間違いない。あれはヨミの剣の過去の姿か? それならここは、あいつの記憶の中)
生きた剣はしかし、死にかけていた。
長い間をダンジョンで放置されて血の一滴も得られず、存在がすり減っている。――誰か、誰か、オレを手に取ってくれ。
――誰でもいい。血をくれなくてもいい。剣として握ってくれ。
悲痛な呼びかけは、だが、虚ろに響き渡るばかり。
剣として生まれた彼は、誰にも顧みられないままひっそりと死のうとしていた。と。
いよいよ死にかけた剣に誰かが触れた。
初めての暖かな体温に、剣は身を強張らせる。彼を手に取ったのはまだ幼さを残す少年だった。
年齢は十二歳くらいだろうか。 成長期に十分な栄養を取れていないようで、ひょろひょろと痩せた体をしていた。「なんだ、お前。言葉が喋れるのか?」
少年が言った。
「声が聞こえた気がしたんだが」
『そうだ! オレは生ける武器。今はこんなみすぼらしいナリだが、敵の血を吸わせてさえくれれば、必ず最強の剣になる』
「ふうん? まあいいや。俺の武器はさっき、折れてしまった。ついでだからお前を使ってやるよ」
それから少年は剣を手に持って、ダンジョンの攻略を始めた。
弱い魔物しか出ないダンジョンではあったが、この年頃の少年が一人で踏破するのは大したものだ。 彼は苦戦の末にダンジョンのボスを殺して、剣に血を啜らせた。『ぷっはー! うめぇ~! 生き返る! 恩に着るぜ、小僧』
「お前は血を飲んで腹を満たすのか?」<
それからも青年は――神殺しの王は貪欲に働き続けた。 国の国土を最大まで伸ばす。 戦争で虐殺を少し手加減して大量の奴隷を手に入れた。 奴隷でない人々も、恐怖と圧政で支配した。 土地の守護神の血を啜った剣は、生ける武器として最高峰の強さを手に入れた。 切れ味や使い手の能力を引き出す力だけでなく、守護神の知識をも入手した。 剣は守護神の名にちなんで『ヨミの剣』と名付けられた。「ヨミよ。俺はまだまだ足りないんだ。国を建て、神の力を手にいれた。それでも心は飢えるばかり」『我が主。どうすればお前の心は満たされる? かつてオレの飢えを満たしてくれたように、オレもお前に与えたいんだ』「この大陸全土の支配、いいや、この世界全てを支配したい。それには寿命が足らぬ。俺はもう人生の折り返しを過ぎた」 青年は既に壮年の年頃になっている。「永遠の命が欲しい。永遠にこの世を支配したい。全ては俺のもの、奪いたいだけ奪ってやる」『……分かった。守護神の知識から糸口を探してみよう』 そうしてヨミは魔法使いたちを集めて、のぞみの部屋を設計した。 守護神の知識にあったエーテルライトと永久氷河の勾玉。そしてヨミの剣自身。 それらを鍵として魔力の部屋を作り上げた。 計算上は完璧だったが、エーテルライトと永久氷河の勾玉の入手はできなかった。 まだ完成していない部屋の扉の前に立ち、王が問いかける。「この部屋に三つの秘宝を集めれば、我が願いが叶うのだな」『そうだ。そうすればお前の心は安らぐだろうか。オレはお前に与えられるだろうか』「そう、だな……」 王は部屋の扉に触れる。 扉に刻まれた封印と増幅の文様に魔力が流れる。 文様が強く発光して視界を覆う。『安心しろ。お前の願いが叶うまで、パルティアの国とお前の子孫は、オレが守ってやる。だからお前は待っていてくれ』 ヨミの声が響いた。 光はますます強くなり、俺を絡め取ろうとする。
ふと気がつけば、俺は見知らぬ場所に立っていた。 どこかのダンジョンの中だろうか。 薄暗くて誰もいない寂しい場所だった。 床に一振りの剣が落ちている。 ボロボロの刃で鞘はなし。柄に宝玉が嵌っているものの、薄汚れてひび割れている。 剣はかぼそい声で呻いた。生きているのだ。(あれはヨミの剣だ) 俺は思う。(ひどくオンボロだが間違いない。あれはヨミの剣の過去の姿か? それならここは、あいつの記憶の中) 生きた剣はしかし、死にかけていた。 長い間をダンジョンで放置されて血の一滴も得られず、存在がすり減っている。 ――誰か、誰か、オレを手に取ってくれ。 ――誰でもいい。血をくれなくてもいい。剣として握ってくれ。 悲痛な呼びかけは、だが、虚ろに響き渡るばかり。 剣として生まれた彼は、誰にも顧みられないままひっそりと死のうとしていた。 と。 いよいよ死にかけた剣に誰かが触れた。 初めての暖かな体温に、剣は身を強張らせる。 彼を手に取ったのはまだ幼さを残す少年だった。 年齢は十二歳くらいだろうか。 成長期に十分な栄養を取れていないようで、ひょろひょろと痩せた体をしていた。「なんだ、お前。言葉が喋れるのか?」 少年が言った。「声が聞こえた気がしたんだが」『そうだ! オレは生ける武器。今はこんなみすぼらしいナリだが、敵の血を吸わせてさえくれれば、必ず最強の剣になる』「ふうん? まあいいや。俺の武器はさっき、折れてしまった。ついでだからお前を使ってやるよ」 それから少年は剣を手に持って、ダンジョンの攻略を始めた。 弱い魔物しか出ないダンジョンではあったが、この年頃の少年が一人で踏破するのは大したものだ。 彼は苦戦の末にダンジョンのボスを殺して、剣に血を啜らせた。『ぷっはー! うめぇ~! 生き返る! 恩に着るぜ、小僧』「お前は血を飲んで腹を満たすのか?」
沈黙が流れる。俺もバルトもヴァリスも、次にどう動けばいいか決めかねていた。 と、そこへ。「バルトさん。ちょっといいですか。ユウさんも」 盗賊ギルドのメンバーがやって来て、俺たちを手招きした。「どうした?」「尾行をつけていた例の二人組……ユウさんの恩人の人らですけど。衛兵に捕まりました」「はぁ!?」 俺はバルトを見た。「何だよ尾行って! いやそれより捕まった!?」「王都に来てから、ユウの様子はずっと見てたんだよ。で、風変わりな二人組と合流したからどうしたのかと思って。宿の外で待機して、彼らが出ていった後に尾行をつけていた」「……話はどこまで聞いた?」 俺は思わず低い声で言った。 三つの秘宝の話は、知ればそのまま危険につながる。バルトのことは信じているが、盗賊ギルド全体で悪用しようとするかもしれない。 そして俺がよそ者の魂の持ち主であることは。……ただのわがままで、誰にも知られたくなかった。「食堂で話していた内容は聞いた。宿に入ってからはさすがに無理」 バルトの言葉を信じるしかない。 宿の部屋で話した際、周囲に人の気配がないのは確認した。 宿の外ならともかく、ドアの前など間近に誰かいれば気づいたはずだ。 いや、それよりも。「ニアとルードが捕まったって? なぜだ」 彼らは今まで長いことこの大陸を放浪していた。 王都も何度か訪れたと言っていた。 それがどうして今さら捕まるんだ。「衛兵に探りを入れたところ、手配書が出ていたようです。そこのヴァリス団長に追加される形で」 と、盗賊ギルド員。 ヴァリスが言う。「誰がそんな命令を出した」 そうだ、今の王宮は王も王子もいない。命令を出す立場の人は限られる。「大臣の一人ということですが」「……あいつか」 ヴァリスは舌打ちした。俺は聞いてみる。「心当たりが?」
アレス帝国の使者を迎えて、パルティア王宮ではもてなしの宴が開かれていた。 帝国の第三皇子に嫁いだパルティア王女の懐妊が発表されてしばし。 パルティア側から贈った祝いの品の返礼として、使者がやって来たのだ。 ヴァリスは騎士団長として、警備の最高責任者の立場と貴族位を持つ者の両方で宴に出席していた。「皇子妃殿下は健やかにお過ごしでございます。どうぞご心配なさらぬよう」 宴席で帝国の使者が言う。彼はメイデスという名で、帝国の高官だった。 パルティア国王はうなずいた。「嫁いで手元を離れたとは言え、あれは我が愛娘。生まれてくる子は帝国の皇室と我がパルティア王家の両方の血を引く尊い存在である」「おっしゃるとおりでございます」 この話を聞いていたヴァリスは少し違和感を覚えた。 皇子と王女の結婚は当然ながら両国の利益を打算したもの。 けれど両国の血を引く子の存在はどういう立ち位置になるだろうか。 パルティアとアレスの友好の証だろうか? それとも。 宴はつつがなく進んでいく。 張り巡らされた警備網に穴はなく、不審者の報告も上がっていない。「ヴァリス殿。こちらはアレス帝国名産のワインです。ぜひご賞味を」 メイデスの部下がワイングラスを差し出したので、ヴァリスは受け取った。一口飲む。「香りが素晴らしい。色も鮮やかで」「そうでしょう。まるで血のような赤」 ふと。『ヴァリス、気をつけろ。何かがおかしい』 腰に吊るしていたヨミの剣から声がした。 いつもはヘラヘラとふざけているくせに、初めて聞くような切迫した口調だった。『なんだ、これ、は……!』 柄に嵌め込まれた宝玉がチカチカと明滅している。 いつもは真紅の色なのに、光が瞬くたびに色褪せていく。灰色になっていく。(ヨミ、どうした) ヴァリスは心の中で剣に話しかけた。 返事はない。『…………』 返事はな
「すまん、エリーゼ。きみは店に帰っていてくれ。もし俺になにかあったら、盗賊ギルドと相談してつながりの村まで行くんだ。店のみんなといっしょに」 最悪、パルティア王国と敵対することになる。「なにかあるなんて! わたしだけ帰るなんてできません!」 エリーゼが必死の表情になっている。「きみがいても、今はなにもできない。頼む。危険な目にあわせたくないから」 衛兵と騎士たちはさらに集まってきている。 行動を起こすなら早くしなければ。「…………」 エリーゼは泣きそうな顔になって。「……分かりました。ご無事のお帰りを待っています」 そう言って、メイドスカートをひるがえして走っていった。 気配を消して表通りから路地へと入り込む。 ダンジョンで魔物相手に鍛えた隠密スキルが役に立っている。 王都の裏路地まで地図を把握しているわけじゃないが、それは大部分の衛兵や騎士にとっても同じようだ。 まだヴァリスは捕まっていない。 俺は路地に置いてあった樽を足がかりに、手近な建物の屋根へと登った。 上から見れば衛兵らの動きがよく分かる。 彼らに見つからないよう注意しながら、屋根から屋根へと伝う。ヴァリスがいると思われる方向へ向かった。 ある路地でヴァリスを見つけた。 衛兵に追われて防戦しながら走っている。 動きは彼本来のものと思えないほど鈍い。 腰にはヨミの剣が差してあるのが見えた。鞘に納められたまま抜かれてはいない。 ヴァリスが手にしているのは何の変哲もない剣だった。 ガキンッ! 衛兵の槍をヴァリスが跳ね上げた。 さらに走るが、その先から騎士たちが現れた。「団長、大人しくしてください。あれだけのことを仕出かして逃亡するなど、一体どうしてしまったのですか!」 騎士の一人が悲痛な声で
ぼやけた視界に飛び込んできたのは、エリーゼの心配そうな顔だった。「ご主人様、良かった……。目を覚ましてくれて」 気がつけば、俺はベッドに寝かされていた。 どうやらエリーゼがやってくれたらしい。「お体はいかがですか? どこか痛いところは?」「大丈夫だ。……ニアとルードは?」 部屋の中に彼らの姿はない。 エリーゼは首を振った。「わたしが気づいたときは、あの人たちはもういませんでした。ご主人様だけが床に倒れていて」「そっか」 俺は体を起こした。 別にめまいもしないし、痛みもない。 動揺していたせいで攻撃をまともに食らってしまったが、俺だって超一流の腕前なんだ。 ただルードもかなりの手練れだな、あれは。「何があったのですか?」 エリーゼの問いかけに、俺はちょっとだけ考えてから言った。「あの二人の触れてほしくない部分まで、無遠慮に踏み込んでしまって。彼らは俺の命の恩人だが、向こうにとって俺はただの行きずりの相手だ。馴れ馴れしくしすぎて怒らせてしまった」 エリーゼは何も言わない。 俺の嘘を見抜いているだろうが、心遣いがありがたかった。「はあ……」 それにしても予想外の話を聞いてしまった。正直、まだ心の整理がつかない。 船の事故で死んでしまった、十五歳の少年。俺は彼の名前すら知らない。 どうやって償えばいいんだろう。 けれどニアの望みを手伝ってやることはできない。 だいたい、のぞみの部屋だって本当かどうか分からないのだ。 そんなあやふやな状態でヨミの剣を強奪するなど、パルティアを敵に回して大変なことになってしまう。 ニアとルードのことは忘れて、今まで通り過ごす。 それ以外に取るべき道は見えない。 俺は結局、無力だった。 虚しさがこみ上げてくる。「……今日はもう休もうか」「はい」 ニアとルードのために取った部屋が無駄になっ